梅干し 僕らは、短い夏を駆けぬける。
週に1?2回は日本的な料理を作るようにしている。旦那が日本ぽいもの食べたがる。もともと彼の実家ではほぼほぼ毎日アジア料理。彼のお父さんとか普通に卵とじのカツ丼とか作るし今まで日本で一緒に生活していた時に一切日本食を作らなかった食べなかった私の罪滅ぼしで、週に1?2回は上に書いたように日本的なものをレシピ検索しては作っている。レシピ通り作るので、味は美味しいらしく旦那、そして旦那のお父さんもめちゃ喜んでて私も嬉しく思っている。なんだか罪が軽くなったような気がするしでも、肝心の私は元の味がどういうものかが今ひとつわからん為、それが美味しいのかようわからん上に、醤油、砂糖、みりんとかが入った味が一番苦手で、その苦手な味を避けて日本ぽいものを作れないかと考えていたところ、子供のころお米とおかずが入った典型的なお弁当が苦手だった私が母親に毎回リクエストしていたオムライスがあるじゃないか!と気づいた。(ええ、私子供の頃から白米とかしぐれ煮とか、梅干しとか全部だめだったんです。大人になったらましになると思ってたら、変化なし) という訳で、日本の洋食代表のオムライスを作ることにした。母親が作ってくれていたのを覚えているので、これはレシピも見ず作れ、それなりのできに自信もあった。最後、よくテレビとかでみるケチャップで可愛い絵をかくのを思い出し、やろうとしたら失敗。。。可愛いことは苦手。旦那爆笑してたわ。
で、お味の方は?というと、旦那が一言。。。このチキンライス、日本のレストランで出てくるやつと全然ちゃうやん。メキシカンのブリトーの具みたい。というじゃないですか!なんでやー。ママが作ってたやつそのまま作ったって! 結論:うちのママもあまり典型的な日本の料理を作っていなかったと思われる どうやら、洋食屋さんとかで出てくるオムライスはあまり具などたくさん入っておらず、肉もチキンとからしい。でもうちは牛ひき肉を使っておった。これがどうやら非常に重かったみたい。旦那にもやっぱり日本のご飯の味わかってないやろ?と再度言われ、そろそろわかってると答えるのも申し訳なくなってきた なので、もう諦めて無理して日本ぽいもの作らなくてもいいかなと思い始めている今日この頃。あっ!でもね、焼きそばは好評やったから、きっと関西の食べ物はちゃんと作れるはず!!と、まだ希望を持っています。
梅干しを選ぶとき、誰が、どんなふうにつくったか、気にする人が増えています。ビールは、どうですか?
〇 我が家の犬 読者さんから、愛犬の画像をと言われてましたので、少し出しましょう。上の写真は、去年の5月に一度出したものですね。 ジャックラッセルテリアが少し入ってるようですが、基本は雑種。もうすぐ11歳、体重は11kg。写真は2年前のものですが。 嫌いなものは梅干しとスイカくらいで、それ以外はなんでも食べます。 写真は改築前の台所なので、4年前くらいの写真、バナナを食べるの図 現在の姿、11歳。かつて真っ黒だった顔に、白髪が目立つようになりました。 臆病で警戒心が強く、よく吠えます。これは一生、直らないでしょう。外の世界をのぞき見。 外から見ると、こんな感じですね まだまだ元気なので、15歳くらいはいくかなと思っております^^ 〇 アジメールつづき さて、インドのイスラム都市・アジメールの続きです。次は、インド最古級のモスクを目指します。 途中、汚い水がドワ~ッと流れてきました。ゴミをいっぺんに流してしまおうという作戦でしょうかねえ(;^_^A そしてモスクに到着☆ モスクの名前はダーイー・ディン・カー・ジョーンプラー。訳して「2日半の小屋」。なんでも、2日半建てられたそうな。 ヒンドゥー寺院を取り壊し、その部材を使って建てられているので、あまり日数はかからなかった、ということなんでしょうね。 それでは入りましょう(※注1)。 中は広々、いい感じ デリーの世界遺産、クトゥブ・ミナールのモスクなどと共に、インド最古級のモスクで、12世紀後半の建造。 礼拝堂の前には、7連アーチ(これは疑似アーチ)の立派なファサードが クトゥブ・ミナールのモスクにも、モスク前には疑似アーチのファサードがありましたが、今はほとんどが崩壊していました。 しかしこちらは中央のミナレットを除けば、かなりしっかりと残ってます 崩壊したクトゥブ・ミナール・モスクのファサードの一部 ファサードには、びっしりとコーランの文字が刻まれてます。それにしても、よく崩壊しませんねえ(※注2)。 裏側からは、疑似アーチであることが特によく分かります。う~ん、やっぱり最高w 10分くらい眺めてたでしょうか(いや、もっとかなw) 礼拝堂内部は、圧巻の多柱式。完全にインド土着式の石造建築であります。 柱は、ヒンドゥー寺院のものを転用していますね。偶像が削られたようなデザインのものが所々にありました。 上を見上げます。天井のデザインもヒンドゥー風☆ 「おい、栄養国民、いつも上ばかりだな。たまには下を見たらどうだ」・・・・・という声が、どこからか聞こえてきましたw ということで、下を見ましょう。 ・・・・・これが下です。鳥の糞だらけであんまり綺麗じゃないんですよね(^▽^;) 礼拝堂には靴を脱いで入りますが、糞には気を付けましょうw メッカの方向を示すミフラーブは、白大理石製。 ここで、猫ちゃんに出会う この旅で出会った2匹のうちの1匹です。インドは猫が少なく、これが最後の出会いとなりました。 さて、来た道を引き返して、バススタンドに戻りましょう。おばちゃんは人がいても構わず掃きまくり。 さらば、アジメールの門前街 そして、遂に野良豚にも遭遇 野良牛、野良羊、野良山羊と出会って、野良豚だけは出会わなかったインド。やっと出会えました しかし、インドで豚肉食べる人はかなり限られてますし、何のために豚がいるのかな 何匹かは道路を横断して食事場(ただのゴミ山ですけど^^;)に向かいましたが・・・・・ この2匹は渡りそびれたんですね。車の往来が多くて、動きの遅い豚ちゃんにとって道路横断は命がけ 結局横断を諦め、進みだしました。あらら やがて草藪の方に消えていったのでした。おしまい。 ・・・・・って、どーでもいい話ですけど(^▽^;) そして、アジメールバススタンドに到着(拝借写真)です。バスはまあ、オンボロばかり。でも、既にこれが普通という感覚になりました^^; 次の行先はヒンドゥー教の聖地、プシュカルですね。 プシュカルまで30分くらいの旅 アジメールからプシュカルには、30分に1本くらいの頻度で出ているようでした。 そして出発・・・・・おっ、男性たちがトイレ中 横の仕切りはちゃんとあるのに、後ろが完全オープンなのがインドらしいというか^^; しかも、バスが道路に出ていく位置にわざわざ設置してまして。これはもう乗客に見せ付けるのが目的としか言いようがないですねw つづく 〇 インド石造建築3(興味のない人は、スルーして下さい) ※注1、横架材の上の空洞 この門、矢印位置に疑似アーチで空洞が造られてますが、これは下図の「力」を弱めるためですね。 石材が引張力に弱いことは前に書きましたね。上図の加わる↓力 (曲げモーメント)が大きければ、石梁のような横架材は耐えられず、崩壊しかねません。 そこで、上写真のように、石の横架材の上に空洞を作り、↓の力を弱める工夫が、世界のあちこちで見られます。 因みに上写真は、アトレウスの宝庫(ギリシア・ミケーネ、拝借)の入口。 空洞は疑似アーチ造り。 これなんかもそうですね。写真はカンボジアのアンコール遺跡群。空洞は疑似アーチ造り(拝借)。 石梁は圧縮力に弱いということが、インドでもカンボジアでも、そしてミケーネでも知られていた、ということでしょう。 ※注2、疑似アーチのスパン 礼拝堂前のファサードのアーチ、これは疑似アーチ(迫り出しアーチ)であることは先に書きましたが、中央アーチの開口幅は6mくらいありそうで凄いですね それも、アーチ幅に対してアーチ部分の高さが低く、よくこんな急な迫り出しで崩壊しないなと感心します。 こちらはアンコール・トム南門の疑
似アーチ(拝借)☆ アンコール遺跡群の疑似アーチは、最も広いものでプリヤ・カーン宿駅のスパン4m20cm。上写真の南門は、それよりずっと狭そうですね。 しかも、かなり慎重に迫り出させてますので、この疑似アーチの△はかなりの高さがあります。 アンコール遺跡群も、石材同士の組み方や緊結方法には工夫を重ねていったようですが、それでも疑似アーチによる大きな内部空間はそれほど得られてません(上写真はその一例、拝借)。 なので、インドが疑似アーチでファサードの6m、さらにはドームでそれ以上のスパンを容易に獲得していることに驚くのですね。 ただし、インドの疑似アーチが、どのようにしてそれだけのスパンや、ファサードに見るような急角度で迫り出し得たのか、残念ながら知識はありません。 説明している本などは見つけられませんでしたので・・・・ 因みにこれはマヤ文明の遺跡の疑似アーチ(メキシコ、ウシュマル)☆ 疑似アーチを調べていて、マヤ文明にも疑似アーチが多く使われていたということを初めて知りました。 ただ、マヤ文明に関しては何も知りませんので、これ以上のことは書けませんけれども。 ☆それでは、疑似アーチ世界最大スパンの建造物は何か? それは・・・・・ ・・・・・先に上で挙げたアトレウスの宝庫(上写真、紀元前1250年頃、拝借)のようです。 この宝庫はなんと直径14.5mもあるんですね。要するにスパンがそれだけあるってことで、間違いなく疑似アーチ世界最大スパンでしょう インドの疑似アーチドームも、スパン10m超えは1つもありません。まあ、向こうは柱&梁の上にドームを立ち上げているので一概に比較できませんが、それでも紀元前1250年頃でこれだけのスパンを疑似アーチで達成しているとは、驚愕以外の何物でもなく、ただただ驚いたのでした。